バーテンダーは「心の名医」☺️

    紙ナプキンにそう書いて名刺がわりに差し出したのは、金沢の老舗BARのバーテンダーだった。今から4、5年も前の話だ。    
   「たかが一杯、されど一杯」その言葉を自分の仕事に向かう姿勢として貫いているのは、東京は銀座、やはり老舗、「SKY・BAR」のバーテンダーだ。
    まさこはBARが好きだ。BARの醸し出す独特の雰囲気が好きなのだと思う。カウンターを挟んで、ほどほどの距離を保ちながら向かい合うことに安心感がある。女の子がそばに来て、酔ったお客の求めに応じて酒をついでくれるスナックは、どうも苦手だし、ましてや飲んで酔っ払いたちがみんなで歌うカラオケは、大の苦手😥
    若い頃は、1人でカウンターに座っていることもよくあった😊
    カウンターの向こうに立つバーテンダーは、客を自由にしてくれる。そっとしておいてほしいときは、察して放っておいてくれるし、相手を求めているなと察したときには、さりげなく声をかけてくれる。言葉のやりとりの中から、客の飲みたいお酒を察してくれることもある。
  「察してくれる人」bar・tender
    初めて、BARというところに足を踏み入れたとき、カクテルの名前など全く知らないまさこに向かってバーテンダーはこう言った。「どんなお酒が飲みたいか、それを話してみてください。」と。もやもやを抱えてスッキリしたいとき、爽やかなカクテルを!!というように。
   そのとき、何を言ったか、何が出されたか、全く覚えてはいないが、恐らくその日以来BARの魅力に引き込まれたのだろうと思う。
    
    「バーテンダーは心の名医」と紙ナプキンに書いた金沢の初老のバーテンダーは、その日初めてやって来て、たまたま自分の目の前のカウンターに座り、注文するまさこに、美味しいと言わせるカクテルを作ってくれたし、銀座「SKY・BAR」のバーテンダーは、客が何を求めているかを探ることに神経を研ぎ澄ますという。
    結局は、人に向かい合う仕事は、全てまず人を知ろうとすることから始まるのだろうと思えてくる。
    教師として、毎日目の前の子どもたちに私はきちんと向き合っているだろうか?そんなことも無意識のうちに感じさせられていたのかもしれない。残念ながら忘れてしまったが😅

    我が家にも、はやとさんというバーテンダーがいる。彼が「心の名医」かどうかは???だが、彼はやたらとジントニックにはまっている。来客には、まず自分の入れたジントニックを差し出して、反応を試している。
    昨日は、古民家のルドルフさんが我が家にやってきた。この間、ルドルフさんにはいろいろとお世話になってきた。てぃだのお客さまを古民家に連れて行きたいと頼み込んでは、カフェ扱いさせてもらってきたし、最近では、兄夫婦を連れて行った。その感謝の想いも込めて、我が家のバーテンダーは、3種類のジンを買い揃え、ルドルフさんをお迎えした。

    日本海側長門市に暮らすルドルフさん。はるばる関門海峡側へとやって来てくれた。ナビで迷いながらもやっとたどり着いて、車を降るや、第一声「遠かった〜〜🤣」
    はるか彼方の水平線。コバルトブルーの海に浮かぶ島々。ルドルフさんにとっての馴染み深い日本海の景色だ。
   一方、人々の生活が息づく対岸の灯り。夜の街のイルミネーションが美しい海峡の景色、どちらも心を揺さぶる景色で、比べようもないのだけれど。
    「違うね〜〜😳」と、あらためて海峡の眺めに感動するルドルフさん。
    そういえば、下の娘が大学時代に巡検先の富山で見た夜の日本海を、真っ暗で怖かったって言ってたなぁ〜。対岸に灯りが見えるのが当たり前の景色で育ったからこそ出てくるその言葉。
    ひとことで海と言っても生活の中にある海の景色は、本当にさまざま違うものなのだと感じる。
   
     さて、さまざま違う。そうそう。3種類のジン。ビーフィーター、ゴードン、タンカレーをズラリ並べて、ルドルフさんを前に、ジントニックについてひとしきりウンチクのはやとさん。ジントニックの奥深さを語って語って〜〜海峡の街の夜は更けていった☺️