まさこは、梅雨入りした沖縄にやってきています😅
旧知の友人で、家族ぐるみで付き合いのある高校の退職教員Fさんの強引な誘いにも一度は丁重にお断りした「沖縄平和ツアー」。二泊三日の旅です。どうやら、急なキャンセルで定員割れの危機に焦っている様子。はやとさんの「行ってあげたら?」の一言で、参加することにしました。
沖縄には、もう何度も来ました。はやとさんはまさこの倍ぐらい来ています。まさこが、はじめて沖縄に来たのは、それでも30歳ぐらいのときだったと思います。若い先生たちの企画した「沖縄平和ツアー」でした。その頃から、修学旅行先に平和学習の場として沖縄が選ばれることが増えていました。戦争中、日本で唯一の地上戦があったのが沖縄。独自の文化と歴史をもつ豊かな沖縄の地が、いくさに焼かれ、島民の4割が亡くなり、戦後は本土と切り離されアメリカの支配下に置かれてきた沖縄。本土復帰後も、島の中心部の広大な土地を米軍基地に奪われて、たくさんの悲惨な出来事に見舞われてきた沖縄。
はじめての沖縄で、その事実を知って愕然としたことを覚えています。当時まだ、存命だった「ひめゆり部隊」の宮良ルリさんが語り部として、話してくださった沖縄戦の真実は、胸に収めきれないものでした。悲しみ、何に向けたらよいのかわからぬ怒り・・・。自分に何が出来るのか?というおのれへの問いかけ。そして、・・・
知った事実は、伝える。
それが、当時のまさこが選んだ自分に出来ることでした。もう30年以上も前のことです。写真をスライドに落とし、さまざまな資料や沖縄のガイドブックを参考にシナリオ原稿を書き、文化祭で生徒・保護者・地域の方、そして教職員に見ていただきました。
起こった事実を知った者が出来ること。それは、なかったことにしない努力。広く伝えること。
そのことは、もちろん今にいたるまでつながっています。
東日本大震災のあと、仙台や福島に行く機会を得て、同じように、知った事実はなかったことにしない‼️と、全校道徳の時間を作ってもらって、パワーポイントで流したこともありました。もちろん、シナリオ原稿もすべてまさこが書いて。
福島を案内してくださった高校の女先生は、その数年後ガンで亡くなりました。
命をかけて、「フクシマをなかったことにしないで!!」と伝え続けたすてきな方でした。
ひめゆり部隊の宮良ルリさん、フクシマの先生!まさこに何かできたでしょうか???
そして、今回。何度も訪れたこの平和祈念資料館で、人として生きる「豊かさって何だろう?」と考えさせられています。
あと2日、しっかり考えてきますね。