東京から長野市にやってきました。
千曲川の決壊、氾濫で被災した長野市内のある地域にボランティアで来ています。
国語の授業で島崎藤村の詩は何回も教えてきました。中でも、まだ上げ初めし前髪のりんごのもとに見えしとき、前に挿したる花櫛の花ある君と思ひけり〜の「初恋」は、けっこう大切に教えてきた詩でもあります。彼の「千曲川旅情の詩」も口ずさむように記憶している詩です。
信州長野は、まさこの好きな場所です。遠く高く連なるアルプスの峰々、ひんやりとした澄んだ空気、りんご🍎、ぶどう🍇、とうもろこし🌽と味覚も嬉しい長野。兄家族の暮らす長野には、もう何度もやってきました。それこそ、この夏、楽しんだばかり。
その長野での千曲川決壊の報道。じっとしていられない思いがわいてきていました。
超多忙に日々を過ごしていて、全く帰ってこないはやとさんへの応援に東京に来ていたのですが、東京まで来てるんだから!と、はやとさんに相談し、「できるときにできる人間ができることをする」というボランティアを選択して、長野市まで来たということです。
善光寺の近くにある長野県高等学校教職員組合事務所に8時15分集合し、出発。15分くらいで到着したのがこの日のボランティア活動場所でした。
車に乗り込んですぐに「今日は、長靴でなくても大丈夫ですよね?私、登山靴ですが、カッパのズボンを履いてますし、ゲーターも持ってます!」というまさこに、担当の方が厳しい一言。「そんな状況の場所じゃないんです。長靴用意があるので貸します。」
本当にそうでした。現場についてすぐに、自分の状況判断の甘さに情けなくなりました。
決壊した川が押し流して来た汚泥は、りんご畑にも民家にも重く深く堆積し、じっとりと水分を蓄えながらとどまっていました。
さらにその泥には一緒に流されてきたさまざまなものが混ざり込んでいて、危険でもあります。もちろん雑菌も気をつけなければなりません。
泥まみれになってもよいかっこうでいることが、第一条件なのです。
上下ともに汚れてもいいカッパを着て、長靴を履き、ビニール手袋をつけて、防塵のためのマスク・メガネで作業するのです。作業を始めてすぐにドロドロになりました。すぐに気にならなくなりますが、長靴以外は、終了と同時に廃棄です。それが、このボランティア活動に必要な準備でした。
熊本地震のあと、益城町にボランティアに入った経験があって、準備物は考えて来たつもりでした。でも、担当の方と話しながら、地震による被災と川の決壊による浸水被害とでは、全く違うということが、よくよくわかってきました。
さて、到着してすぐに、役割が指示され、女性はみな、軽トラの荷台に乗せられ😅作業場所を移動。荷台では、若い女先生が、まるでドナドナやね。私ら売られていくみたいな〜😰と、言うので、そばに座っていたやはり若い女性が、ドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜と歌い出して、一同大笑い。ボランティアだからって悲壮感はいらないんです。汚泥やガレキを詰め込んだ土嚢袋をトラックに積み込んだり、泥に汚れたものを拭いたり、混ざり合うゴミの選別をしたりと、けっこうな重労働ではありましたが、楽しく活動しました。
このボランティア活動で、まさこが何より一番感動したのは、その日私たちを指揮していた高齢の男性の姿でした。その方は、高校関係の仕事を長くされて退職の後、自治会で会長をされていた方で、被災の後、すぐに自分も被災しているのに、近所の家々の復旧のためにボランティアの人をそれぞれの家庭に派遣して、ボランティア内容も指示されているということを聞かされたのです。
さらに、最後に、「お疲れさまでした。みなさんは、明日からまた学校で子どもたちに向き合って、しっかりお仕事を頑張ってください。ありがとうございました‼️」とあいさつされました。
本当に頑張っている人から、頑張って!と言われてしまって、涙があふれてしまいました。
シバタさん。あなたこそ本当にお疲れさまです。
まだまだ続く復旧の長い道のりを思うと、なんとも言えない重いものを自ら背負って立つ、その姿に、このままでいいのだろうか?という深い疑問もわいてきて、消えることがありません。
このままで、本当にいいのでしょうか。