お彼岸にはやとさんが久しぶりに帰省。
教員時代最後の教え子たちが、高校を卒業したそうです。
世の中、ちょうど卒業シーズンなのです。すっかり忘れてしまってました。なんとも遠い過去😅
進学や就職で彦島を去る前に、教え子たちがはやとさんに会いに我が家にやって来ました。
帰省のその日に部活動で関わった子どもたちが、翌日は担任したクラスの子どもたちがやってきました。庭に椅子を持ち出し、雨晒しのテーブルにはテーブルクロスに掛けてセッティングするはやとさんは、すっかり先生の顔です。久しぶりに見たなぁー。
就職が決まった子は車を運転してやって来ました。
3年の月日を飛び越えての再会に話は尽きないようす。
春の暖かな陽の中で、我が家の庭に賑やかな声が飛び交っていました。
苦難の先に待っているこの瞬間が、教師のやりがいというもの。うれしそうに、少しそわそわして子どもたちを迎えているはやとさんをながめながら「はやとさんは、先生だったんだなぁー」といまさらの感☺️
一方、はやとさんが部活動(バスケットボール部)の教え子たちと懐かしい時間を過ごす間、おじゃまなまさこは退職教職員のグループ「のんのん」主催の文学講座に出かけていました。
まさこの役目は、この文学講座で司会をすること。てらミンは会計係です。会場は市民活動センター。アツコさんの勤務場所ですから、アツコさんは、受付しながら会場の予約などの調整に走りました。基本、この3人で運営してきたのが「ふるさとの文学に親しむ会」でした。
もと梅光学院大学の近代文学専門のY先生が講師でした。とても楽しい講座で、毎回20人ぐらいの常連さんの参加があり、Y先生独特の切り口での文学への迫り方を楽しみにしていました。資料代500円で運営してきましたが、参加者からは「500円でこんなにたくさんの資料をいただき、面白いお話を聞けるなんて、ありえない!」と言われていました。実家は京都、現在は奈良の帝塚山大学講師となられた先生。旅費も出さないこの小さな会に、まさにボランティアで講義に来てくださっていました。さすがに申し訳ないと、参加者にカンパを呼びかけ、みなさん快く応じてくださいましたが、それでもチラシ代や資料代、会場費を差し引くと、先生になんとかお渡しできるのが10,000円程度でした😆コロナで参加が少ないときなど、7000円ということもありました💦
そんな貧しい運営にも、「いえいえ、私もこちらに来る用事があるので大丈夫ですよ!」とか「自分の研究したことを話せる機会を作ってもらえるのはありがたいです!」と言ってくださってました。先生を慕う教え子さんたちがいつも何人か講座にやってきていて、会のあとはカフェで語り合ったり、てぃだで合宿をされたりと、楽しみを作ってはおられましたが・・・。
大学も4月からは、全面的に対面授業となるとのこと。勤務の都合で下関まで来ることが困難になるということで、この日が最後の講座となってしまいました。
今回のテーマはまさこのリクエストで中原中也。「私は、韻文は苦手なんです」と言われてましたが、なんのなんの、いつものように先生独特の切り口で、中也の詩を鑑賞していかれました。知ってるようで知らなかった。分かってたようで、分かってなかった中原中也の世界を見せられた気がしました。
「ふるさとの詩人 中原中也」はあまりに有名で、耳にしたことのある詩はたくさんあるけれど、なぜかまさこは中也の詩に共感できなかった😥その理由がなんとなく分かったような。
太陽信仰のまさこには、理解しがたい中也の闇を見た気がしました。重たい雲の上には明るい空があるのだけれど、それを信じ、描くことなく、その身にのしかかるように覆う雲の下に生き、そこで描き続けた中也。裕福な家庭に育ち、お金に困らない生活の中にあって、彼の心は晴れない。彼を覆う雲とは、厳格な父なのか?ふるさとなのか?
先生の鑑賞を聞きながら、彼の生きた世界をさまざま思い描くと、まるで自分まで重たい雲の下に閉じこもっているような気持ちになります。
いやいや、私はこうは生きられない。たとえどんなに暗く重たい雲が覆っていても、その上には青空とまばゆい太陽がある!と信じて生きてるんだから。
新鮮な発見が必ず用意されていた先生の文学講座も今回で終わり。司会も終わりです。
参加した方々とともに、盛大な感謝の拍手を送りました。
先生の教え子さんが編集に携わっている文学タウン誌?「文芸 ごきんじょ」にも掲載されたのですがねー!😥
残念ですが、終わりです。
さらば先生!!
さらば「ふるさとの文学に親しむ会」よ!!