セミの声は虫の音へと


 大好きないちじくが店頭に並び始めました。初ものをいただきます。

 季節は移っているんだなぁ。
 昨夜はエアコン要らずの涼しさだったし、今朝は朝日が昇ったというのに、セミの声がしない。代わりに、虫の音が聞こえる。
 しばらくして、遠くにツクツクホーシの声がし始めた。セミの季節はまもなく終わるんだ。

 それにしても、いちじくを当たり前に買って食べる自分に、はっとする。
 大学に入る頃まで、米は作るもの、野菜も作るもの、味噌だって自家製、どれも買うもののリストには入らなかった。ましてや、いちじくなんて。秋になると木に登り(と言っても、いちじくの木は背が低いけど)、自分の食べたい分とってきて食べるものだった。
 子どもの頃、夏が終わり、青かったいちじくの実が赤黒く膨らむのを見るや、いざ!と木に登る。もぎ取ったいちじくは新聞紙に包んで持ち帰り、家で広げて、食べる食べる食べる!!10個や20個平気で食べてた気がする。そのうち、口の端が切れて痛痒くなるまで。
 貪り喰らう。この表現どおりの食べっぷりだったなぁ。
 あの頃は、我が家の庭や畑の木はもちろん、野山の木々に実るものは、全て子どもたちのものだった。
 近所の庭から伸びている柿の木の枝になる柿が、実に美味しそうで、指を加えて眺めていたら、おばさんに「それ、渋柿やけーね」と盗まないようクギをさされた。
 どうしても納得がいかず、こっそり盗って食べてみたら、やっぱり渋かった😂
 栗を盗って、子どもたちで焼き栗にしようと算段し、河原でこっそり新聞紙に火をつけて焼いてみたが、生焼けで不味かった記憶も残っている。
 そういえば、子どもといえど、みんなマッチが擦れたものだ。はやとさんの話だと、いまどきは、理科の実験でガスバーナーに火をつけるのに、マッチを擦るところから教えるというから、時代も変わったものだ。
 四季折々の野山の生り物は、どこに何があるかほぼ知り尽くしていた気がする。
 ヤマモモ、クワの実、グミ、ビワ、柿、栗、いちじく・・・。なんだかバナナに似た味のポポーというものもあったな。
 駄菓子屋に駆け込んで「おじさん、紙袋ちょうだい‼️」と叫び、ただでもらった茶色い菓子を入れる紙袋にヤマモモをたっぷりもいでいれて帰ったこともあった。
 当時ビニール袋は希少だったし、簡単には手に入らないものだった。
 本当に時代は大きく変化した。
 簡単に手に入れられるようになったもの。
 今となっては手に入らなくなったもの。
 いろいろある。
 誰もができるようになったこと。
 誰にもできなくなりそうなこと。
 これも、いろいろある。
 この変化は、進化といえるのかな?それとも人間にとっては退化なのかなぁ?

 ま、いろいろあるけれど、
 とにかく、今となっては、いちじくは買ってでも食べたいものとなったということ。これが大きな変化なんだということには、間違いない😌

 初物のいちじくに、まさこの思い出の引き出しがぱかっと開いて、幼い頃の記憶があふれ出したってこと😆