ささやかな発見


 梅雨なのに晴れ☀️の朝。空気がまだひんやりしてなんとも爽やか。
 朝のルーティン。食後に日記帳を開き、まずその日の朝の気分をメモしておきます。次に前の日の欄に戻って残りを書きます。
 北寄りに移動した朝日が、出窓のブラインドの隙間からリビングのテーブルに光の筋を落としています。日記を書くペン🖋️の影がくっきりと紙に映り、ペンを動かすと、その影がまるで文字とともに踊っているようで、かわいくて不思議な感じ。
 ツラツラ ラッタッター ツラツラ
 ってな感じ😄
 丁寧な日記を付けてた義父の影響で、義父が亡くなったその日から付け始めた3年日記帳。元日の朝日が昇る、ちょうどその時刻に永い眠りについた義父でした。その日から綴り始めて、早4冊目に入ってます。
 もともと若い頃から書くことは好きで、日記もずっと書いてたのですが、子育てと仕事に追われて、自分の日記ではなく、娘2人の連絡帳を書くのが毎朝のルーティンになり、以来しばらく遠ざかっていました。(保育園〜小学校の6年間、担任の先生の間では、連絡帳をいっぱい書くお母さん!として引き継がれていたと、担任になった先生たちから、何度か聞かされました😆)
 義父の葬儀のあと、残された日記帳を床に座り込んでぱらぱらと読みながら、ときに吹き出して笑ったり、ときに自分を振り返って反省したり。ああ、お父さんはあのときのことをこんなふうに感じていたんだなーと、その人柄を思い出しては、感慨にふけったものでした。
 勤勉で誠実。口数少なく、謙虚で配慮のある義父でした。人をめったに誉めないお隣りさんからも、「お父さんはいい人!」と絶賛されてた人でした。前の日まで何の気配もなく日常生活を送り、大晦日の夜、年越しの蕎麦を一緒に食べる約束で訪ねて行ったときには、すでにベッドで深い眠りについていた義父。そのまま眠り続け、元日の朝、太陽☀️とともに空に昇っていってしまいました。

 日記は、何のために書くのだろう。自分が生きていることを確認するため?生きてた証を残してるのかなぁ。
 それにしても、綴りながら、影と一緒に踊る文字を眺めながら、そのダンスに初めて気付いた自分を「よく気付いたね。なかなかじゃん!」と誉めたりしている朝です。
 ツラツラ ラッタッター


 梅酢がかなり上がってきたなー。そろそろ次の段階かな🤔